今回のなかのりブログでは、社会情勢が変わっている中で「昔ながらの考え方・自分たちが受けてきた教育を子どもたちにそのままやらせること」「中学3年生・高校3年生になったら、とりあえず塾に入れて受験対策をするということ」がいかに危ないかとお伝えします。
現役東大生が共通テストを受けてみたら
東洋経済オンラインが出している「大学入学共通テストを東大生が実際に受けて見えてきたものは」という記事を見つけました。
センター試験と大学入学共通テストはまったく違うものだという話が以前からありますが、センター試験を通過して現役東大生になった子が、今の大学入学共通テストを受けてどう感じるかという記事です。
その記事を抜粋しながらお話をしていきます。
センター試験が「知識があれば解ける問題」だったのに対して、共通テストは知識を重視するのではなく「思考力・判断力・表現力」を重視した問題を出題することが予告されていました。
これは、僕は、5、6年前からずっと言っています。
おそらく、皆さんが入会する際にも、だいたいの方には大学入試の話もしているはずです。
これからは「思考力・判断力・表現力」が求められるものに変わるということです。
それはなぜかというと……。
例えば少子高齢化や経済格差、環境や感染症など、未知の問題が私たちの前に山積しています。
その解決に挑むために、知識や情報を結び付け筋道を立てて考え解を導く能力、他者と議論するために自分の意見を伝える能力を鍛える必要があるのは言うまでもありません。
つまり、学びへの姿勢そのものの変化が求められているのです。
そもそも、センター試験から大学入学共通テストに、これだけ劇的に変わったきっかけとなったのは、経団連です。
経団連が「大学生はプライドばかりが高くて使いものにならない」と言い出したんです。
それはそうです。
大学入学共通テストに変わる前は、40年間ずっと試験のやり方が変わっていなかったんですから。
僕が受けたのは20、30年前ですが、そのときからずっとやり方は変わっておらず、暗記や解法パターンを覚えていけば高得点が取れるのが大学入試でした。
意味のない暗記や解法パターンを覚えることに、高校生活の3年間を費やします。
それを覚えたところで、社会の役に立つかというと、役に立ちません。
なぜかというと、解法パターンや暗記で解けるものは、全部機械がやってくれるようになるからです。
これからはそういう時代です。
つまり、時代の変化に教育がついてこられず、ようやく重い腰を上げて「思考力・判断力・表現力」と言って、社会に求められる力を問うようになったというのが、大学入学共通テストなんです。
大学に入るために必要な力と社会に求められる力がようやくイコールになりつつあるということです。
例えば、今までのテストでは知識さえあれば解ける問題ばかりだった「世界史B」という科目の問題が、今年になって一変したのです。
問題数はあまり変わっていないのに、問題のページが非常に多くなり、読まなければならない箇所が格段に多くなりました。
SNSで「共通テスト 世界史」と検索すると、多くの受験生が「国語みたいに文章量が多かった」「資料の読み取りばかりで、知識が通用しないものが多かった」と嘆いているところを見ることができます。
数年前までは受験生だった現役東大生たちと一緒に、実際に共通テストの問題を解いた結果から見えてきた、「これからの共通テストの方向性」についてお話ししようと思います。
まず解いていて驚いたのは、どの科目も国語の問題のように、問題文が長いことです。
見開きで文章を読み切ったうえで、問題がたったの1問載っている、というものも多く存在していました。
センター試験を解いて東大に合格した世代の東大生にも解いてもらったのですが、みんなが口をそろえて「センター試験よりも、解くのに時間がかかる」「かなり体力を使う」と言っていました。
僕も、センター試験の過去問を解いているときに理科や社会の問題で時間が足りなくなった経験は一度もありませんでした。
問題の答えの根拠も、長文のいろんなところに散っていて、「最初と最後を読んで大体の英文の方向性を理解する」などのテクニックもあまり使えません。
数学もそうです。
数学の問題とは思えないくらい問題のページ数が多く、与えられた条件を読解して理解するだけで時間がかかってしまうようなものばかりでした。
しかし、そのように難しくなっている印象のある共通テストを、東大生たちは「うーん、解きづらいな」と言いながらも、きちんといい点数を取っていました。
センター試験と同じくらい点数を取れる人もいれば、「4年ぶりに解いたけど、本番の点数よりもよかった!」と語る東大生もいるくらいでした。
僕が感じたのは、言葉の力です。
読解のときに、東大生たちは言葉に対する感度が高く、問題を解くことができていたのです。
語彙の知識が重視されているわけです。
それも、単純な漢字力やただその漢字の意味を知っているかではなく、「確固たる語彙の知識」が求められているわけです。
この傾向は、この問題だけでなく、ほかの科目でも見て取れます。
言葉の意味を深く理解していれば、読むスピードは格段に速くなります。
共通テストで今後求められるのは、読解力・語彙力なのではないかと僕は考えました。
それも、ただ言葉を知っている程度ではなく、同じ意味の漢字も知っていたり、その根本の意味を理解していたり、類義語や対義語も理解しているような、そんな「確かな」語彙の力が必要だといえるのではないでしょうか。
抜粋 「出典:東洋経済オンライン」
親が情弱だと子どもが不幸になる
前回「これからは読解力・思考力がないと社会に通用する人間になれない」「大学入試を通らない」と言いました。
僕は分かっていました。
なぜ分かっていたかというと、セミナーや本などから「将来的にこのような知識が必要だ」「子どもたちの力をこのように備えていかなければいけない」「大学入試はこのように変わるな」という情報を得ていたからです。
それに向けて準備をしていました。
だから、僕は、3年前に速読解という講座を開いています。
プログラミング教室でなぜ読解力が必要なのか。
「将来、子どもたちには絶対に必要になる」「大学入試でも必要になる」だから導入したんです。
そのときに、僕の話と自ら仕入れた情報を照らし合わせてマッチするなと思った保護者の方は、速読解講座を受けています。
この間、お話をしたように、それを3年間受けた子は、今回の共通テストでもかなり良い点を取っています。
何が言いたいかというと「今まで自分たちが受けてきた教育をそのまま子どもに当てはめることはリスキーだ」ということです。
時代は変わっているし、求められる力は変わっています。
それなのに塾ばかりに頼って「大学入試なんとかしてよ」というのは間違っていると思います。
本来、子どもたちに求められる力をしっかりと備えてあげられるようなサポートが必要だと思います。
僕の言葉だけを信用せずに、皆さんも自分で調べてみてください。
高校の先生は「今の成績は二極化している。できる子・できない子の格差が広がっている。
違いは、知識の違いでも勉強量の違いでもなく、読解力があるかないかだ」と言っています。
普段、子どもたちと接して、子どもたちの成績を見ている高校の先生が断言しているんです。
僕は、プログラミングによる論理的思考力の向上と読解思考力講座による読解力・語彙力の向上を皆さんにやってほしいです。
僕はこれを伝えることが使命だと思っています。
これを聞いて、やるかやらないかを決めるのは皆さん自身です。
前回お話をしたとおり、親が情弱だと子どもが不幸になります。
子どもが誤った方向に努力をするとすごく不幸になります。
それを重々分かった上で、責任を持った判断をしていきましょう。